はじめに
広報を否定する経営者に私はまだ出会ったことがありません。SNSの炎上リスク、メディア対応、採用ブランディング。攻めにも守りにも広報機能が必要だという認識は経営者の常識になっているように思います。
しかし「では、御社の広報を担っているのはどんな専門家ですか」と聞くと、多くの経営者が言葉に詰まります。「総務の担当者が兼務しています」「社長の私がやっています」「……特にいません」。こうした回答が返ってくることは珍しくありません。
これは日本には広報の専門家がほとんどおらず、供給そのものが不足していることに起因します。本記事ではPRプランナーの筆者がその背景を紹介し、経営者が取れる現実的な打ち手を考えます。
第1章:大学に広報学部がない国
会計には会計学科があります。法務には法学部があります。マーケティングには商学部があります。では広報は。
日本の大学には、広報を専門的に学べる学部・学科がほぼ存在しません。
アメリカではPublic Relationsが大学の独立した専攻として確立されています。広報の理論、メディアリレーション、危機管理コミュニケーション、PR倫理。体系的なカリキュラムの中で4年間を費やし、卒業時には広報の専門家としてキャリアをスタートできる人材が毎年輩出されています。
日本は広報の専門家を育成する教育環境が未熟です。大学を卒業した時点で「広報の専門教育を受けた人材」は、ほぼゼロです。これは会計学科を持たない国で「なぜ会計の専門家がいないのか」と嘆くようなものです。育てる仕組みがなければ、育つはずがありません。体系的な知識を備えた広報人材の不足はここから始まっています。
第2章:偶然の配属が、唯一の入口になっている
大学で育たないなら、企業の中で育つしかありません。しかしここにも問題があります。
日本で広報のキャリアが始まるきっかけは、多くの場合「たまたまの配属」です。新卒で入社した会社にたまたま広報部門があり、たまたまそこに配属される。広報の専門家を目指して入社したわけではなく、辞令一枚で広報担当になるのが一般的なスタートラインです。
しかし広報部門を持つ企業は限られています。独立した広報部を設置しているのは一定規模以上の企業に限られ、中小企業には広報部門そのものがないケースがほとんどです。つまり広報の実務経験を積む機会自体が、大企業に偏っているのです。
さらに大企業の広報部門にいたとしても、メディアリレーション、社内広報、IR、危機管理など広報業務は多岐にわたるため、担当者は業務の一部分だけを担うことが多い。広報の全体像を俯瞰できる経験を持つ人材はごく限られます。加えてジョブローテーションで数年後には別部署へ異動するケースも珍しくなく、せっかく蓄積された専門性がそこで途切れてしまいます。
私が支援の現場で「広報の経験があります」という方に詳しく話を聞くと、実際にはプレスリリースの配信だけだった、社内報の編集だけだったというケースが少なくなく、なんとなれば広報ではなく広告の経験だけだったということもあります。広報の一部を経験した人はいても、広報を体系的に理解し実践できる専門家は、驚くほど少ないのが実態です。
第3章:PRプランナー約3,600人という現実
広報の体系知識を認定する資格の筆頭が、公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会が運営するPRプランナー資格認定制度です。2007年に始まり、1次試験から3次試験までを段階的に設けています。
PRプランナー資格を得るには、3年以上の広報PR関連の実務経験に加え、ニュースリリースの作成や広報PR計画の立案といった実践的な3次試験に合格する必要があります。3次試験の累計合格率は約48%。知識だけでは通過できない、実務力が問われる試験です。
この3次試験の累計合格者数は、約3,600人です。
日本の企業数は約360万社。単純に割ると、PRプランナー1人あたり1,000社です。もちろんこの資格がすべてではありませんし、資格を持たなくても優れた広報実務者はいます。しかし体系的な広報知識を持つ人材がどれほど希少かを示す指標としては十分です。
需要に対して供給がまったく追いついていない。この数字はそれを端的に物語っています。
第4章:広報は「攻め」だけの仕事ではない
広報と聞いて多くの方がイメージするのは、プレスリリースを打つ、メディアに取材してもらう、イベントを告知する、といった攻めの仕事でしょう。しかし広報機能の守備範囲は、経営者の想像よりはるかに広い。いくつか挙げてみます。
採用
求職者は応募前に必ず企業名を検索します。広報が機能している企業は、検索結果に自社発信の情報が並ぶ。機能していない企業は、口コミサイトの評価だけが表示される。どちらが応募につながるかは言うまでもありません。
AI検索対策
ChatGPTやClaude、GeminiのようなAI検索の利用が広がっています。AIは参照できる情報源から回答を生成するため、自社の正確な情報がウェブ上に存在しなければ、誤った内容がAIの回答として拡散されかねない。広報による情報発信の質と量が、AI時代の企業イメージを左右し始めています。
与信審査
新規取引先の信用調査で、企業のウェブサイトやニュース記事を確認するのは当たり前の実務です。広報が整備されていない企業は、それだけで信用力の評価にマイナスが生じます。
危機管理
SNS炎上、不祥事、クレームの拡散。初動対応を誤れば取り返しがつきません。守りの広報は、事が起きてから慌てて探しても間に合わない性質のものです。
ステークホルダー対応
投資家、金融機関、行政。企業の情報開示の姿勢そのものが評価対象になる時代です。
これらは広報部門がなくても日々発生している事象で、有事に対応する広報機能がないまま放置されています。
第5章:攻守兼備の広報が、なぜ育たないのか
前章で挙げた守備範囲を見れば明らかな通り、現代の広報には攻めと守りの両方に通じた力が求められています。メディア露出で攻めながら、コンプライアンスやリスク管理で守る。この二つを兼ね備えた人材は、第2章で見た供給構造ではまず育ちません。
大企業の広報部門でプレスリリースの配信を担当していた人材が、危機管理広報に精通しているとは限りません(そもそも重大危機とは稀に起こるものであり、経験する機会そのものが少ないのです)。IRに強い人材がSNSの炎上対策に長けているわけでもない。攻めと守りは求められる知識も判断軸も異なります。
コンプライアンスの要請が年々強まる中で、攻めだけの広報では企業を守れません。しかし守りだけの広報では企業を成長させられない。この両輪を回せる人材の不在が有事への対応力に影を落としています。
第6章:副業人材が広報機能の空白を埋める
ここまで見てきた通り、広報の専門人材は市場にほとんどいません。仮にいたとしても、正社員としてフルタイムで採用するのは中小企業にとって現実的ではないケースが多い。広報専任者を置くほどの業務量がない企業も多いからです。
ここで副業人材の特性が活きます。
大企業の広報部門で経験を積み、メディアリレーションや危機管理の現場を知っている副業人材は、まさにこの空白を埋める存在です。フルタイムではなく、月に数時間から始められる。広報体制の設計、プレスリリースのレビュー、危機管理マニュアルの整備。こうした業務は、顧問型の副業人材が最も力を発揮できる領域です。
加えて副業人材は複数の企業の広報に携わることで、一社の中にいるだけでは得られない比較の視点を持っています。「御社の情報発信はこの部分が手薄です」「同業他社はこういう打ち出し方をしています」といった横断的な指摘は、社内の人間にはなかなかできません。
私は広報機能がまったくない企業に対し広報部門の立上げに伴走しました。最初は月2回の壁打ちから始まり、プレスリリースの書き方を社内担当者に伝え、メディアリストの作り方を教え、半年後にはその担当者が自走できるようになった。守りでは有事が生じたとき、企業でどのような人が何を言い出し、どんな混乱が生じたかを伝えました。副業人材の仕事は、自分がいなくなった後も広報機能が残ること。知恵の移転こそが、顧問型副業人材の真骨頂です。
広報専門人材を正社員で採用する前に、まず副業人材の力を借りて自社に広報の型を作る。この順番が、中小企業にとって現実的な一歩だと私は考えています。
まとめ
広報の重要性は誰もが認めています。しかしその専門家を育てる仕組みが、日本にはほとんどありません。大学に広報の学部がなく、現場での育成は偶然の配属に左右され、体系知識を認定されたPRプランナーは全国で約3,600人。企業数360万社に対して、あまりにも少ない。
一方で広報機能の守備範囲は年々広がっています。採用、AI検索対策、与信、危機管理。攻めと守りの両面で、広報が経営を支える場面は増える一方です。
需要は拡大し、供給は不足している。差分を埋める現実的な施策が、副業人材の活用です。まずは月に数時間の壁打ちからでも、自社の広報機能を立ち上げる第一歩を踏み出してほしいと思います。
成功に近道なし。共に頑張りましょう。
